しょーぐんさんとこから。「やさしさ云々」はどうでもいいのだが,私は Ruby が嫌いだ。 いや,嫌いというのは正しくないか。Ruby を覚えようという 気が起きない。とはいっても言語の能力とか以前の問題で。
私が Ruby を覚える気が起きないのは,今まで私が会った Rubyist が ことごとく「鬱陶しい人」だったからだ。その「鬱陶しさ」は, 彼らから感じた「Ruby を使っていることに対する誇り」や 「Ruby を広く普及させたいという思い」から来てる。 リンク先の元記事を書いた方は, 「まつもと氏の宗教観云々」という言葉が「宗教的」な印象を与えたと思って 修正してらっしゃるみたいだけど,私に関して言えば, そういうこととは関係なく「宗教的」な感じがする。
私はいくつか好んで使っている言語があるけど,所詮道具である言語を 使うこと自体に誇りも感じないし,その言語を皆が使うようになればいいとも 思わないもんなぁ。人が書いた source をいじらないといけないときは, 「〜で書いてくれればいいのに!」と思うことはあるけど。
だいたい,ただのユーザなのに「各言語の特徴づけ」とか「言語の比較」とかを したがるのは,なぜか Rubyist が多い。や,してもいいんだけど, なぜ Ruby 好きな人 (の一部) は Ruby を 「良い言語」だと他の人々に認めさせようと必死なんだろうか。 まあ知名度が低い間は,ある程度の布教も必要だろう。でも,それ以後は 本当に良い言語なら,布教活動はしなくても広がるはずだし,実際 Ruby は 昔に較べればそこそこ広まってはきている。でも,なんか Rubyist は 「もっと広まっていいはず」と思っているフシがあるように思うのは, いまだに「広めようとする人」が居るからだろうし, その辺が「盲信者」が多く見えてしまう理由の一つでもあるのかなと思う。
これだけ Ruby が有名になった状況で Ruby を使っていない人というのは, 理由は何であれ「使わないこと」を選択しているのだということは自明なのに, その上でまだ勧めてこられると「あなた言語を見る目がないんじゃないの?」と 言われている気がして不快なのだ。
それはそれとして,元記事の「各言語の比較」。C++ は「無節操」の集合で 「実験用言語では?」とか書いてあるけど,私は simulator 書こうと 思うときにはやっぱり C++ を選ぶ。他はありえない。私はどうやら 実用性のない言語を使って研究をやってるらしい。ここで言ってる「実用性」って どんな実用性やねん!と思う。Python が ないことも気づいていながら追加してないところにも,なんか悪意を 感じるなぁ。もしくは使ったことがないのかもしれない。 いずれにしても,このような Rubyist による比較の内容自体が 「現場の感覚からかけ離れてる」印象を受けることが多いのも事実。
いずれにしても,私は Ruby に興味がないわけではない。 坊主憎けりゃ袈裟まで...ではなく,袈裟やら法衣やらが不快すぎて 坊主自体を評価してみようという気が起こらないのが残念ではある。 というか,こんなことで長文書いてしまう私も「必死だな」って 感じだけど,普段から溜まってる不快感を放出してみた。
どうでもいいけど この Rubyist っていう,lobbyist を連想させる呼び方も,なんか活動家を 連想させて非常に気持ちが悪い。